沿革

沿革

日豪コンサルティング・サービスはゴールド・コーストを中心とするクイーンズランド州への日本からの投資が盛んであった1986年に創設されました。

私、リン・玲子・レインズ、は神戸生まれですが、オーストラリアの市民権を取得後、1980年にゴールド・コーストに移住しました。当時は、日本からの観光客も殆ど無く、2年間は日本人の居住者に会うこともありませんでした。

ところが、突然、日本からの観光客そして移住者が訪れるようになりました。ある夕方のテレビのニュースで、日本人のグループがバスでゴールド・コーストの高級住宅地であるパラダイス・ウォーターズを訪れ、家の中を見ることもせず、Saleというサインの出ている物件をすべて買ったと報道されました。バブル経済の最中にあった日本からの投資家にとって、ゴールド・コーストの不動産はあまりにも安価であったものと思われます。ベッドルームが4室あり、プールのある大きな庭付きの一軒家が100,000豪ドルで売りに出ていましたので。日本の銀行は不動産所有者に、借金をして、更に不動産に投資することを勧めていました。所有する不動産の価値の2倍をも借りるように銀行から勧められたというケースも少なくはありませんでした。その頃、日本では、誰も不動産の価値が下がるということは考えられなかったようです。誰もが、不動産の価値は永久に上昇し続けると信じていたのでしょう。

このような事態が発生すると、残念ながら、それを悪用する人たちが出て来てしまいます。ローカルの事情や商習慣に不慣れなお金を持った日本人を搾取するケースが色々と発生し出しました。その当時、ゴールド・コーストの日本語学校で日本とビジネスをするにはという内容で講義をしていたため、私のことを聞きつけた人々から、これは日本人とオーストラリア人の両方になりますが、様々な件に関し、照会の電話が入るようになりました。これが、日豪コンサルタンティング・サービスの始まりです。

その当時、英語と日本語を自由に使い、ビジネスをもこなせる人はゴールド・コーストには殆どいなかったため、ありとあらゆる問い合わせを受けることになりました。日本人同士の間で生じた問題をオーストラリアでの商習慣や法律を踏まえた上で、どのように解決できるかという相談を受けることもありました。すでに問題が生じている場合、将来の問題の発生を避けるための、転ばぬ先の杖をどうするかなど、ビジネスに関するものだけでは無く、実に多岐に渡るアドバイスやサポートを提供することになりました。

特に記憶に残っているのは、オーストラリアで、治療が不可能と診断された脳腫瘍を患っていた若い女性、20歳ぐらいだったかと思いますが、のケースです。日本に福島脳外科医という世界でトップの脳外科医がいるということをThe Australianという新聞の一面に出たのを読んだ母親から、何とかこの先生に診てもらえないかという電話を受け取りました。全くの畑違いというか、医療関係には一切コンタクトも何もありませんでしたが、ちょうどビジネスで日本へ行くことになっており、直接病院へ連絡をし、福島先生とお話をすることになりました。その後、多くの方々からの支援をも得て、この女性と母親を日本へ連れて行き、福島医師の診断を受け、納得の行く結果を得て、オーストラリアに戻ることになりました。諸費用をカバーするための寄付金集めもメディアなどを通して色々と行われましたが、アラン・ボンド氏が25,000豪ドルを寄付されたのを覚えています。

ビジネスで関わった業種には、建築、農業、食品、不動産開発、教育などを含む幅広いものがありますが、常に、日本と、ゴールド・コースト、クイーンズランドの個人、および企業の間のコーディネーターの役割を務めました。

クイーンズランド日本商工会議所の会頭の任務を引き受けて、今年は6年目になります。これまでに培って来た、知識、経験、ノウハウなどすべてを活用して、日本とオーストラリア両国間の企業のビジネスや投資関係を構築するための架け橋となることに専念して来ており、お世話をした個人また企業は数知れずあります。

日豪経済協定が調印され、今後、色々な面で、両国間の関係が深まると考えられます。そのような環境を踏まえ、私は日豪コンサルタンティング・サービスを再度スタートさせる決意をいたしました。

日本とオーストラリアでの長く、幅広い経験および知識を生かし、現実に即した,適切なアドバイス、支援を提供できるものと確信致しております。

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